友への手紙。

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振り返って10年

色々と整理してたら、この業界に入ったきっかけをふと思い出すメールを見つけた。
ツールを触ったことがある、趣味でサイトを作ったことがある、そんな程度の知識で飛び込んだWeb業界。
思えばあれから10年も経っている。

それが本当に何気ない一言だったから

私には親友がいた。
当時ネットで流行していたROで知り合い、お互いの本名は知らないまでも、とてもパーソナルな深い話までした仲だ。
何気ない普段の話から、ゲームのこと、芸術のこと、お互いの相方のこと。
出会ってしばらくはただの友達だった。
なんとなくウマが合うな、程度の。
ある日、実はプロの漫画家だったという親友は私にこういった。
「本当にモノづくりが好きなんだね」と。
まったくの不意打ちだった。
友達から求められれば文章を書いたし、稚拙ながらも絵やデザインを送ることもあった。
また趣味がこうじて作ったWebサイトも必要だったから。
子供の頃はダンボールを家にしたり、近所の木の枝を取ってきてよくわからない細工をつくったりもした。
何もない洞穴に秘密基地を作ったりもした。
ただの趣味だと思ってたそれが、はっきりと「好き」だと自覚した瞬間。
「あ、そうか、モノづくりが好きなんだ…」と。
いつしか友が親友になり、私にとっては尊敬する対象にもなった。

荒む私と苦しむ友と

それから必死になって「夢」を追いかけた。
Webデザイナーになるって。
当時の恋人から「貴方には無理だ」と言われても、絶対なってやると思って、職業的にはすぐに叶った。
そしていつのまにか、個人の名義でWeb制作を請け負ったり、プロとしてわりと通用するまでになったつもり。
地道にやってきたことが少しは信用も得られたと思う。
思えば遠くまできたものだと思う。
親友の何気ない一言を便りに、ずっと一人でがむしゃらに。
私に衝撃を与えたすぐ後に、親友はメニエール病、難聴、他にも複合的な発作を患ってることを伝えてきた。
当時まだ専門学生だった自分には、土佐にいる親友のもとには気軽に行けない。
そうこうしているうちに、親友は入院することになった。
それから私はだいぶ、仕事ですり減っていった。
がむしゃらに働いて、ブラック企業を渡り歩いて、神経を削りながらも必死に技術だけを磨いた。
たまにログインする親友に「大丈夫?」と心配されるメールをもらう。
管に繋がった日々を過ごしていること、メッセンジャーのタイトルがつらそうなので心配していること、近況等、、、
うまく言葉をつなげないながらも、なんとか大丈夫だと、そしてまたメールする、とだけ書いて返信する。
そしてまたがむしゃらに働く日々。
1年後にまた親友からのメールをもらう。
そしてまた、大丈夫だと返す。

とても優しい人だった。
夜中まで、あるいは朝方まで、たまにROで見かけた時はいの一番に時間を割いた。
親友のために唯一私ができることだったから。
たまに発作で身体が痙攣するからと、すごく不安がってたことがあった。
手術を繰り返してもういやだと泣いていたときもあった。
メンヘラだから周りに迷惑をかけている、そんな自分が嫌だとも言っていた。
当時の私にはメンヘラがよくわからなかったが、ただ友としては大好きだったから大丈夫だと慰めの言葉を言ってただけだった。
このまま病院の管に繋がれてもうダメなんじゃないかとひどく落ち込んだ時もあった。
そのたびにずっと、話を聞くことしかできなかった。

たった2通の親友とのメール

それ以降は届いていない。
後に1通だけ、私は親友へのメールを書いて送った。
読んでくれたかどうかはわからない。
なにせ安否すらわからないのだから。
それでも私は、親友に感謝している。
同時に、とても後悔している。
もっと自分にできることはなかっただろうかと。
どうしてもらってすぐにメールを返せなかったのだろうかと。
自分がとてもつらかっただろうに、私を励ましてくれたあなたに。
もうきっと私のことも忘れてしまってるかもしれないあなたに。
感謝の声を伝えたい。
また会えたなら、もう一度だけ、ありがとうと伝えたい。
きっとこれからも私は、その何気ない『便り』を辿っていくのだろう。
親愛なる、私の友へ。

※サムネイルは親友が送ってくれた、私の宝物。ただの自慢です(笑)

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