仕事を1件切った話

感情面の話が多いかも。

仕事の付き合いは長い

仮にデザイナーさんの名前をDさんとしよう。 そのDさんはデザインの先輩としてはとても尊敬する人物。 仕事の仕方もストイックで、もうけっこうなお歳なのに私以上に寝ずに仕事をしている。 おかげで今年のはじめに倒れたりもしたのだが…。 少しは歳を考えて自分を労ってほしいとは思う。

きっかけ

仕事としてはわりとリスペクトしているが、それでもついていけない部分や納得できない部分は残る。 つい先日、もやっとしたものを抱えたまま電話を取り、またもやっとした仕事が急に降ってきた。 もともと年内は何もできないですよとあらかじめ伝えていたにも関わらず。 案の定、未払いと無理納期を言ってくるクライアントの案件だった。 できませんときっぱり伝えたものの、どうにかと説得してくる。 だから「Dさんが私にお金を払っても、結局Dさんはお金もらえないじゃないですか。誰かが損するなんて納得出来ないです」 そう伝えた。 おそらくこうもはっきり気持ちを伝えたのは初めてだろう。 だが、 「自分の考え方はこう思う(内容は省略)。 だから仕事は報われなくてもきちんとやり遂げる。 これは自分の考え。 たとえ支払われなくても、関わった君の報酬は自分がきちんと払う」 その心意気は立派だとは思った。 まぁ、プロですな、とも半分尊敬するけれど、 そう、言われて納得するほどやっぱり大人ではなくて。 プロだから成果を挙げなければならないのも、クライアント側の事情、Dさんの色んな理由や事情も知ってる。 もう何年もの付き合いだから。 でもその「もやっとした」まま仕事はやっぱりできなかった。 Dさんが直接そうはいってないが、 「自分の気持ちや苦しみは君には関係ない」 と言われてるようで、私はなんとも虚無感を覚える。 もちろんそういう意図もつもりもないのだろうけど 「お金払ってるのだから問題ないだろう」という感じが外注となんら変わらないように思えてしまう。

わかってほしい、という意味ではないのです。

デザインの先輩としてはとても信用している。 だから自分の事情も話したし、今年私が関係者として奔走していた日本一醜い親への手紙も渡したのだが、こうも理解の溝が深いのかと、最近になってやっぱり言わなければよかったかなとも思う。

Dさんに自分の話をした経緯

昔、Dさんは会社を経営していた。 そこにはレベルの高いスタッフがいて、D通やTヨタなどの大手の仕事も請け負ってたらしい。 そこでの一人のスタッフの話をしよう。 当時から責任感のつよいスタッフだったため、遅くまでこだわって仕事をしていたようだ。 それに対してDさんは早く帰れとは促していたらしい。 デザイナーの仕事というのは、日本の歴史的にも遅くまで働く人間が多い。 もちろん仕事をして遅くなっていたのだが、奥さんは彼の浮気を疑ったりしていた。 そしてもろもろ(説明は端折ります)が耐えきれなくなり、自殺してしまったのだ。 そこでDさんは悟ったという。 人を雇うということは本人だけじゃなくて周りすらもその家族、周りすらも巻き込んでしまうものだと。 そしてそれを受け止めきれるほど立派ではない。 だから会社を仕事を当時のスタッフたちに分けて解散したのだと。 私はそれを聞いてこの人なら大丈夫かな、と思って自分の生い立ちをかいつまんで話をした。 きっとそういう苦しみに気づいて変えたいと思う人なのではと期待したのだろう。 たぶんそれが失敗だったのかなと、今では少し後悔している。 話をしなければただの外注でいられたのだから。

Dさんと自分との関わり方

先に話した未払いと無理納期を言ってくるクライアントは、 あまりの横暴ぶりに社員が続々と入っては辞めを繰り返す場所。 私も耐えきれずに数ヶ月程度で辞めた。 Dさんとはそこで初めて出会った。 辞めたにも関わらず、今までずっとそこの仕事を続けている。 直接やりとりをしなければ、関わりがなければ、大丈夫だろうと思っていたから。 Dさん経由だから直接のやりとりはないものの、やっぱりどうしても悩んでしまう。 私は自分のスキルが他の人に需要があるものだということを知っている。 だから私は自分のスキルを使って関わりのある人達の役に立ちたいとも思った。 喜んでくれたら本当にうれしい。 親への手紙関連で奔走してたときはとてつもなく忙しかったけれど、今までにないくらい楽しかった。 何より私がやりたかったから、というのが大きいと思う。 はっきり言ってサイトの制作費や管理運用費を考えるとまだまだ赤字の域を出ない。 dokufes.com それでも、開催した名古屋でのこと、 遊びに行った大阪で会った人たちの顔、声、様子を見るとほんとにやってよかったと思った。 デザイナーやクリエイターなら人の喜ぶことがうれしい、そういう人も少なくないと思う。 だからこそ、今まで苦汁を飲んで離れていった人たちとは本当なら、きっといい仕事ができたんだと思う。 私の助けたかった人たちというのは、 「借金7千万になったと威張ってるアホな経営者」じゃなくて、 そのアホに苦しめられて給料未払いのまま泣き寝入りせざるをえなかった同僚や、 パワハラで耐えれずに逃げ出した同じクリエイターさんたちなんだなと改めて思う。

優しくしてほしい、なんて思ってない

私が自分の過去のことを話たり、本を渡したりするのは優しくしてほしいからではない。 そんなもの期待してない。 ましてやわかってほしいわけでもない。 経験してないことだから情報として理解しても、きっと「ただそれだけ」のこと。 だから、ただただ、嫌なことをやめてほしいだけ。 嫌だとはっきり何度も口にするから、それをやめてほしいだけなのだ。 たったそれだけのこと。

だからこそ、本を読んでほしかった

直接やりとりしてるのはDさんだが、その愚痴を事あるごとに繰り返し聞かされる私。 その会社とは別にもうひとつ私が忌み嫌う会社がある。 修行だと1年ほど送り込まれたが、建設会社のボンボンがやってるほんとにクソみたいな会社だった。 私はここで最終月の給料未払いと、根も葉もない名誉毀損を受けている。 「もう聞きたくないです」と伝えたにも関わらず、やはり何度も名前が出てくる話を聞かされる。 だから最近の事情も外側ながら知っている。 どちらの会社もやはり、スタッフがみんな泣き寝入りさせられたりしているのだ。 きっとDさんが親だったら間違いなく嫌ってたんだろう…w 一緒に仕事をしてることでの連帯感や、 貧困してたときに割に合わなくても仕事をふってくれたことについては感謝はあるけれど、 知らず知らずのうちに私の心には澱が溜まり続けていた。 嫌いな人の名前が何度も何度も出てくるから。 あなたから「この仕事は良かった」という言葉を聞ける日はくるのだろうか。 同じ仕事をする仲間であるならやっぱり、 この仕事をして良かった、楽しかったといえるものでありたいという気持ちはずっと持ち続けていたい。 そんな仕事を私は積み重ねていきたいのだ。
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2017.12.27(水)